SNSアプリの意義 DIS vs.ディスカッション【Twitter】

こんにちは。
昨年は僕にとって病気との向き合い方、常に出る様々な症状との格闘、思考は常に悩み、病気から始まり、病気に終わる闘病と苦悩の1年になりました。
仕事(12月末をもって介護職を退職します。その記事はまた改めて。)と「今後、こんな病気を抱えた自分がどう生きていくか。」を365日、24時間考え続けた日々だったと思います。
流星と茨の道 【ソーシャルワーカー相談とフリーランスへの決意】
昨日改めて、適応障害とうつ病の病状についての経過と、障害厚生年金手続きの申請書類に必要な診断書の相談、診察も兼ねて担当の精神科医の先生と話をした。診察の5日くらい前に、病院のソーシャルワーカーさんから「次回の診察日に、診察時間と合わせて一緒に詳しい話を聞きたい。」という主旨の電話をもらっていたので、診察の段階で一緒に書類作成や、自分の病気の状態、今後の仕事復帰に向けての適応能力、過去の時系列などを...
僕の思考は脳波に異常はないけど、かなり特殊な波形だとこちらで少し触れましたが「喜怒哀楽」すらも、僕が考えると奥が深いんですよね。(こんなだから多分、重度のうつ病になるんですよ)
「タイトル・・・何の関係があるの??」と大半の方思われると思いますので本題です。
僕がTwitterに救われた理由
- 「DIS」と「ディスカッション」
- 「炎上」と「円成」
- 共有・討論それぞれの価値観
HIPHOPの「DIS」とTwitterのつぶやきから生まれる「DIS」
少し前にこちらの記事を書きました。僕は自分で言葉を作ること(造語)や、言葉の表現を少し違った観点から解釈するのが好きです。理由は「鬱によって縛られたその時の自分の気持ちや固定観念、囚われた感情が変わる」から。
「DISる」(ディスる)という言葉、聞いたことありますよね。世間一般的に誰かを罵るとか、バカにするという表現で多くの方が認識されてると思うんです。
周りやテレビでも最近は「お前DISってるやないか」みたいな、ちょっと小バカにするようで、笑いも取るような言葉としてバラエティーなどでも芸人やタレントさんよく使われてますよね。
この言葉、元々は音楽のHIPHOPのジャンルから生まれた独自の言葉なんですが、表現の解釈が面白いんですよ。日本ではまだまだ自己表現のプライバシーによる規制が厳しいので、あまり浸透していないんですが。(実際に聞いていてあまり良い表現でないのは確かですからね)そういったDISの言い合いでお互いを主張しあって論争することをbeefと言います。
ただ、この言葉の中には色々な表現や解釈があって、HIPHOP発祥のアメリカでは主張しあう言葉の表現力、個性、価値観を”敢えて”過激な主張に変えることで、お互いのスキル(技術)を高め合い、個性と尊厳を認め合う表現としても使われるんですね。
”リスペクト”という言葉が普通で、”ディス”は「ディス・リスペクト」裏返しの表現として使われるんですが。
白人でスラム街の貧困で育ったエミネムが、自分や家族をバカにする黒人への人種差別と自己主張をラップにのせ表現し、大ヒットした映画8Mileは世界興行収入でも約243億円と、日本国内でもHIPHOP文化の知名度を底上げした映画で、その中の彼の主題歌「Lose Yourself」は一世を風靡しましたね。
HIPHOPの「リスペクト/ディス・リスペクト」の定義と、Twitterで誰かがつぶやき、発言したことに共感して「ディスカッション」(討論して自然と繋がり合う)することの意味って、「DIS」と「DIS」の解釈次第でお互いを高めあえたり、反論したり、言葉として面白いなぁと。すみません、それだけです。
Twitterの「炎上」と「円成」
例えば、今度は誰かが世論批判や、相手を傷つけるような発言をして「炎上」するってよくあるじゃないですか。
これも巻き込まれた当人や影でコソコソと言い合う人も、世間的に言葉として騒がれる、陥れられたような表現になりますよね。
でもこれを「円成」と解釈したら?お互いが円満に成就する意味合いになって、正反対の捉え方になります。
- ”Twitterが炎上”=「批判的なニュアンスで騒がれる」
- ”Twitterが円成”=「温かい円満なニュアンスで騒がれる」
例えば、誰かが結婚してそれをTwitterで報告したら、ツイートが大騒ぎになったとかで「Twitterが円成したーー!!」とか使われたら面白いですね。
一人一人違うからこそ生まれる価値観
SNS全般に言えることですけど、重視すべきは「尊重」と「敬意」あとは「個人情報の保護」←最重要です。(Facebookさん、一番最初に賑わせたんだからしっかりしましょう)
それさえしっかり確立していれば、あとはインスタのように写真で個性を表現したり、最近は動画で表現したりと、多様性と流行りは予測しやすいですよね。Tik Tokもそうですし、この間、次世代型SNSとしてCTimeの記事を書いてみましたけど、時代は書き物を見る→映像を観るにシフトチェンジしているようです。動画は直感的に分かりますからね。
でも僕は文字の方が、ご個人の価値観が分かって好きなんです。文字や文章って面白いですよ。モーリーさんが日本語の表現の面白さをクイズ番組か何かで解説されてましたけど面白かった。環境や育ってきた人生が違うからこそ個性がでて、その人の”色”価値観がでる気がします。
SNSの繋がりで救われた
僕が重度のうつ病を患っているのはご承知のとおりです。
でも、そんな僕でも誰かが見てくれている、繋がりが感じられることを教えてくれたのが紛れもないSNSでした。厳密には「病気と向き合う姿勢や、闘う気持ちを支えてもらえた、蟻地獄のように陥る負の思考を止めてくれる身近な存在だった」というのが正しいですね。
SNSに逆に縛られて、紛らわしく感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが。お声をかけてくださった方には本当に感謝しております。
Twitterもまだまだ捨てたもんじゃない

次世代型と呼ばれるSNSがどんどん普及している中で、ベテラン勢もまだまだ捨てたものじゃないですよ。特にTwitterは僕が好きな文章や言葉の表現が手軽にできて、大きな拡散力がある。ただし、表現を間違えばそれは「自分自身を陥れる諸刃の剣」にもなる。
僕のように精神疾患で苦しんでおられる方は「自然と心と調和できる拠りどころ」が少ない。身体が思うように動かないこともある。副作用によっては、処方薬の安易な増量も、僕の経験上するべきではありません。前にソラナックスを少量増量、パキシルの併用で3日ほど眩暈と倦怠感で動けなかった時もあります。
精神病にとって、処方薬は「治す」ものではなく、あくまで症状を「和らげる」ものだと理解し、最終的には自分の気持ちと感情を奮い立たせて、ご自身で立ち直らなければならない。
処方薬よりも、誰かの温かいツイート(言葉)で身近さや温かさを感じられたら、それだけで感情がほぐれて、身体が動くきっかけになることもあります。
SNSの身近な存在(今回は僕が一番利用するTwitterを主に)と、身内でもない他人からの一言が、ある人には症状が治まるきっかけに。ある人には繋がりを生み出す言葉になる。こんな身近だけど、紐解いたら考え方も捉え方も変わるんだね、という僕自身への”言葉遊び”も含めた記事でした。