「闘病」と「逃病」「夢」と「夢」についてふと考える【思考の切り替え】

昨日の深夜2時と4時半、びっしょりと寝巻きと下着が濡れて、布団のシーツまで汗が染み込んでいる。最近お決まりの自律神経の乱れからくる尋常じゃない大量の寝汗と、濡れた服の感触の不快さで目が覚めた。
ここ2~3日続いている体内時計の不規則さと、生活リズムの不安定さにうんざりですね・・。
僕がパニック障害を克服できたのは拒食症と大体時期同じく、大学2年目くらいだったんですが、うつ病を患ってから自律神経失調症状の発汗機能の異常がまたでてきて、全然暑くもないのに大量の冷や汗がぶわっと毛穴から湧き出るような発汗も、なんとも言い難い嫌な症状の1つです。最近また結構メンタルコントロールが難しくて、なんというか、暴れ馬に乗っているような感覚ですね。
精神的な病気は僕の闘病経験上、事前に予期不安を感じとれるかがとっても重要です。でも、僕のように重度の場合は突発的に症状がでてしまってどう対処しようもできない時もある。
「なんとなく今日は調子が悪い」とか「ちょっときついな・・」と予兆を少しでも感じたら、「逃病」しましょう。僕が(自分用に)勝手に造ってみた造語です。「漢字を一文字変えてみるだけでこんな解釈もあるな」ってふと思いました。
ちょっと視点を変えてみた
- 精神疾患における「闘病」と「逃病」
- 「夢」と「夢」、みるものと見据えるもの
- 弱みを人にさらけ出せる人は強い
精神疾患の「闘病」と「逃病」
病気と闘うことを「闘病」って言いますよね。ちょっと発想の解釈を変えてみたんです。「深夜こんな状況で何考えてんだろ?」と思ったんですけど、なんか妙にその時の自分の心にストンと言葉が落ちてきたんで。
例えば、癌を患っている方。間違いなく「闘う」という表現だと思うんです。まさに闘っていらっしゃる、命を徐々に削られ、細胞が侵食されて蝕まれていく病気が癌ですよね。病気と向き合って、可能な限り自分で進行を遅らせるように摂る食事や行動、習慣を工夫したり、できることはあるけれど「病気」の根本そのものは自分ではどうすることもできない。
また、糖尿病などの成人病を患う方も「闘う」病気です。真正面から向き合わなければならない、逃げられない病気です。
四肢が不自由な方や生来の先天性の障害をもたれている方、サルコイドーシスなどの国の指定難病を患っている方も同じ。(サルコイドーシスは自分の祖母が生前、酸素呼吸器をつけながら間質性肺炎とずっと闘って、自分も症状の辛さ、重さを間近で見てきた病気です。)
乙武さんがこの間ワイドナショーで最新技術の義足を使って歩いてみせるドキュメント、最後に松本さんと肩を組んでいる瞬間を見た時は、すごい!と感嘆して見てました。
でも僕の場合、適応障害も、うつ病も、パニック障害も拒食症も、考えてみたらずっと病気から意識的に逃げながら闘ってきました。精神疾患にも「逃げられる病気」と「逃げられない病気」がある。アルツハイマーや認知症、痴呆を患う方は、病気の進行そのものから逃げられません。統合失調症を患う方も、環境的に逃げるのは難しい。
- 逃げられない病気と闘う=「闘病」
- 病気と向きあいつつ逃げながら闘う=「逃病」
精神的な病気でも、うつ病も、適応障害も、パニック障害も拒食症(過食症)も、逃げられる環境と、受け入れてくれる人の存在があればいくらでも逃げられるんです。ただ、一時の置かれる環境や感情に、ものすごく状態や精神が縛られる。
ちょっと自分に言い聞かせてるみたいですよね、すみません。
無理に辛かったり、苦しかったりしたら「逃げればいい。」
ただ、子育てをしていて、たった一人で育てなければならなくて周囲に身寄りがいなかったり、周りの理解が得られない、話せないなどの家庭的な問題や、仕事をして収入を得ないと暮らせない、逼迫した金銭苦などの問題から、どうしても「逃げたいけど、逃げられない方」もいる。
何が言いたいか。(自分にも改めて言い聞かせるつもりで書いてます)
うつ病も、適応障害も、パニック障害も、拒食・過食症も、感情の起伏が激しい中で、自分の中で好きなことやしたいこと、興味のあることをしたり、一度深呼吸したりして自分を見つめ直したり、音楽を聴いたり、美味しいものを食べたり。どこか「隙間」を見つけることができれば、少し気持ちが楽になれるよ。ということを「闘病」でもあり「逃病」でもある、と表現したかった。
そして、改めて文中で断っておきますけど、これらの病気を決して「軽い病気」だと捉えているのではないことを、添えておきます。
眠りのなかでみる「夢」と希望を見据える「夢」
「夢」という言葉も2つの解釈がありますよね。
- 眠った時にみる空想の「夢」
- 将来に希望を見据える「夢」
僕は今の病気から治りたい、と心底思ってますけど、眠れた時にみる夢は全然意図しない昔の嫌な思い出の断片だったり、今回もなんだか言いようのない虚無感というか、絶望的な気分で目が覚めました。ここ2~3日特にそうです。(夢の中身までは覚えてない)
普通なら今後の自分の人生のことや、病気に対して前向きな気持ちにならなければならないのに”なれない”
これがまた希望を見据えられる夢として自分の心と気持ちが正直に、きちんと前を向いていければ、それがうつ病と適応障害の治療・克服として1ステップ上がれるのかな、と思っています。
現実は苦悩だらけだけど逃避できる環境があると楽だよ
逃げる、病気から目を背けるのは恥でもなんでもありません。
うつ病は気持ちがどうしても縛られる、適応障害は自分が身を置いている環境に身体が正直に順応していないと症状がでてしまう。感情は症状がでているときはぐちゃぐちゃで、身体も自分が思うようにいうことをきいてくれません。僕の場合は記憶が飛んだり、頭痛、発作、最悪意識がなくなる←(この症状だけは出したくないと思ってますが・・いつでるか分からない。)
自分にもほんとに言い聞かせるように記事を書いていますが、人は自分の弱いところや、他人には言いたくないことを隠したがり、強がります。自分の経歴や綺麗なところだけを強調して見せびらかしたがる。僕も自分の病気は「弱い部分」だと解釈してこれまでは生きてきました。
でも素直に気持ちを吐露できる人、親身になって接してくれる人が周りに1人でもいるだけで、逃避できる環境が作れて自分が結果的に楽になれます。
まとめ
いろいろ私的な気持ちばかりが入ってしまった中身になってしまって、内容も脈絡がなく申し訳ないですが、「闘病」「逃病」と表現したかったのは、囚われた気持ちから逃げる、ということが精神疾患ではとても難しくもあり、重要だからです。
自分1人だけが決して苦しい、と思い込みすぎずに、閉鎖的な気持ちのなかでどこか隙間を見つけられたら、迷わず気持ちや環境から「逃げて」ください。僕は闘病生活の中でそれが一番苦手です。
お一人お一人、それぞれ経済的な環境や仕事、生活、立場が違うからこそ今は精神疾患を抱える方が増えていますから、何もかも背負おうとせず、たまには逃げましょう。